第61話    「久しぶりの竹竿作り V」   平成17年06月05日  

採って来た大半の竹は、短いニガダケの三年古である。それにヤダケ少々。三年古のニガダケは穂先がほとんど枯れている。その為に別の穂先の竹を探さねばならない。

二年古の苦竹はほぼ100%穂先がある。その為竹薮から2年古、出来れば3年古の細い硬そうな竹を探して穂先用とする。採ってきた竿用の竹の穂先にする為の竹を何とか20本位を用意した。竿竹の太さや節の長さに合わせなければならないから、本当は最低その倍くらいは必要とするのであるが、ない物は致し方ない。その昔明治の竿作りの名人上林義勝は、四間の竿に気に入った穂先が見つけることが出来ず、20年かけて探したと伝えられている。それ故その四間の竿は、彼が生存中についに完成することがなかった。名人と呼ばれた竿師たちは竹を一本の竿にする為には、その位気を使ったと云う逸話が残っている。後にこの上林竿がこのままでは勿体ないと云う事から、酒井忠良氏が昭和の名人山内善作氏に頼み込み、善作氏は手持ちの穂先中から厳選し継いでやっと一本の竿に仕上がったと云われている。この作業を当地では「ウラを乗せる」と云っている。このウラの継ぎ方の乗せ方次第で竿の調子が、がらっと変わってしまうから非常に難しいのである。

名人と云われた人たちは常時数千本の穂先を用意していたと云われている。素人のインスタント竿師がそんな事が贅沢なことが出来る筈もない。以前採ってきた物と今冬採ってきた物合わせて30数本で合わせなくてはならない。いずれ本格的に作る為の小手調べの遊び竿作りではあるものの、いざ作るとなると欲が出てくる。少しでも良い物が欲しいとは、当然のことである。最初の一本はヤダケの竿にした。加茂の水族館長に聞いたところ、ヤダケは採って来て直ぐに、竹を乾燥させなくとも矯めても良いと聞いたからである。

いざ矯めて見ると竹にまだ水分を含んでいるからか、意外に簡単に真っ直ぐになった。次の日、少し曲がりが出て来たので、修正する。そして4日目に少し早いと思ったのであるが、穂先を継いで見た。竹が短いので長さをもう少し欲しいと思って本来の有り方から見れば邪道であるが、以前採って来た篠竹で手元から70cm程たす形で継いで見た。振って見ると意外と曲がり方も自分好みの柔らかさに仕上がっている。後は実践でどのような曲がり方になるかが楽しみだ。

自分は漆に被れてしまう。その上、人工漆(西洋漆=カシュー)にも負けてしまう。本来は継いだ部分に真綿で包み又は細い糸を巻いてから、その上から漆を数回塗り固め、凹凸を修正し、その上に薄い漆を塗って化粧がけを施す。たまたま姪っ子の結婚式の出席を控えていた為に、カシューを塗る作業を後回しにして天日で乾かす事にした。あと一ヶ月じっくりと乾燥する。5月中頃に、乾燥後に23度の火入れで何とか使い物になるようにしたいと考えている。